コドモノミライエを始めた理由
2019年12月に「コドモノミライエ」をスタートさせました。
自分の中ではこれまでの経験から自然な流れで始めた活動でしたが、
「そもそも、どうして思い付いたの?」と聞いていただくことがあったので、
そのことについて書きたいと思います。
思い返せば、はるか昔…。幼少期までさかのぼりますが、
年の近い兄や弟の友達に混じって自然の中で遊ぶことの多かった私は、
しだいに男の子の世界からは離れ、一人で絵を描くように。
実家が手芸店だったこともあって、フェルトやボタンなどの材料は豊富に揃っていて、
祖母に教えてもらいながら工作もよくしていました。
そんな私も小・中学校ではバスケット一色でしたが、高校では美術部に入部。
熱心にご指導くださる美術の先生との出会いがあり、作品が全国大会に選ばれたり、
部長として展覧会の準備をしたりを経験しました。
その中で、自分が作ったものを認めてもらえる喜びを感じたように思います。
その後、文系の大学に進学したものの、
3年生の時に「やっぱり作ることを仕事にしたい」と思い立ち進路を変更。
大学に通いながら同時に専門学校にも通い基礎を勉強し、
デザイン事務所に就職しました。
デザイン事務所での仕事はとてもハードで、帰宅は深夜1時や2時になることが日常。
慣れないうちは、よくお客さまからも上司からも怒られ、心も身体もいっぱいいっぱいな日々でした。
それでも、何とか続けられたのは、お客さまに私が作ったデザインで喜んでもらえる瞬間が嬉しかったから。
そして、一つひとつの仕事が新しく、もちろん大変だけど、
一から考え作り上げる工程にやりがいを感じたからです。
そんな仕事ばかりの独身時代から一転した結婚後の
子育てだけの生活にもまた違う意味で苦労しましたが(笑)、
下の子が3歳になる頃、少しずつ個人で仕事を再開。
しかし、理想とは程遠く、子どもの面倒を見ながらの在宅での仕事は全然はかどらない!
そんな焦りの中で仕事をしていたとき、ふとのぞき込んだ子どもの絵には、
はっと目を見張るような鮮やかな世界が広がっていました。
カラフルだったり、シンプルだったり、大胆な線も、繊細な線もある。
空想も現実も、子どもというフィルターを通して描かれる世界に、何一つ間違いはないのです。
また、私が特に面白いと思うのは、年齢とともに絵も変化して行くところ。
「ああ、子どもの絵は、子どもそのものなんだな」と感じます。
そんな子どもの絵を額に入れて飾りたいと思ったとき、画用紙サイズのきれいな額がなかったため、
「ないなら私が作ろう!」と考えました。
子どもにとって、家族は一番身近な存在。
その家族を、自分が描いた絵で喜ばせることができるなんて、それは子どもにとってとても幸せなこと。
作ったものを認めてもらえる喜びと、そこから得られる自信を、子どもたちにも感じてほしい。
なにも芸術の世界に進むという場合に限らず、
自分が作ったものや自分自身の存在で人が喜んでくれるという喜びは、
全ての仕事に通じていくのではないでしょうか。
そんな思いもあって運営しているコドモノミライエ。
どこかでお会いできたらとても嬉しいです。
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コドモノミライエ 天野 朋子
1979年兵庫県生まれ。京都女子大学卒業後、大阪と札幌のデザイン事務所に勤務し、グラフィックデザイナーとして広告制作の経験を積む。2011年より夫の転勤にともない北九州へ。フリーランスでデザインの仕事を続ける傍ら、取材・ライティング業務へと活動の幅を広げている。2児の母。